女優の川島なお美さんが生前、「私の血はワインでできている」と語ったのは有名な話ですが、その文脈に似せて言うと、私の場合はこう表すことができるのではないかと思っています。
「私の半生は母の劣等感でできていた」
大げさな話だと思われるかもしれませんが、実際にカウンセリングをしていると、私だけでなく、多くの方にこの表現が当てはまるのではないかと思っています。
生まれた子が男児でも女児でも、母親というのは見えない責任感と不安を抱えながら子育てを始めることが多いように思います。
あるいは、出産前から、結婚前から、子供の頃から、その不安を自分では劣等感だと気づかないこともあるでしょうが、せめて自分の子供は良い子に育ってほしい、勉強のできる優秀な子に育ってほしい、誰からも好かれる子に育ってほしい、という想いをもって育児にあたります。
その想いは、既に出生時の名づけの時点で顕著に表れている場合もあります。
昔からよく、皇室での慶事があると、それに「あやかって」名前をつけたりしますが、肖る(あやかる)の意味を調べると、「影響を受けて同様の状態になる。感化されてそれと同じようになる。ふつう、よい状態になりたい意に用いられる。」と書かれています。
最近まで気づかなかったのですが、誰かにあやかって子供の名づけをするという行為には、無意識のうちに不安や劣等感が潜んでいるのかもしれません。そして、それほど親は、子供の人生を大切に想っている、という証拠でもあります。
私の母はいわゆる、団塊の世代ですが、ピアノやバレエを習いたかったのに習わせてもらえなかった、という悔しさ、劣等感があったようです。
母は、結婚前は小学校教諭でした。当時、教員になったという事は、自身にとっても親族にとっても、きっと誇らしいことだったでしょう。
(実際に話を聞いたことはありませんが、母はものすごく努力し、そして仕事熱心だったのだと思います)
しかしながら、母の劣等感、あるいは自尊心が刺激された結果、自分の子供にピアノを習わせて、同じように教員にさせるということが母の思い描いた「成功の象徴」だったのではないかと思っています。
そして、その根底には、もちろん母の「こだわる」脳の特性によるものもあるでしょうが、男尊女卑の家、地域、時代というものの影響が大きかったのだろうと、後になってみれば冷静に考えることができます。
長いこと悩まされていた母の私への強いこだわりや影響力が、実は母自身の劣等感に根ざしていたのだと、今では理解しています。
そして母の劣等感が、母の母親のもの、そしてさらにその母親のもの、と考えた場合、育児をする上で大事なことは、まず母親自身が、「ありのままの私で良い」と思えることなのではないかと感じています。
すべての母親が、自己否定することなく、不安に押しつぶされることなく育児ができたら、世の中は大きく変わっていくのだと思います。