こんな夢を見たとか、夢をどう解釈したかなど、特に大学生の頃は日記のような形で記録していた時期がありました。
最近は夢を覚えていないことの方が多く、また、特別記憶に残るような夢を見ることもなかったのですが、つい先日、印象的な夢を見ました。
3年前に亡くなった叔母が出てきました。
叔母は、父の3番目の妹で、私とは年齢が18歳差。たぶん叔母が高校3年の時に私が生まれたのだと思います。
父の兄弟の中で一番若いのですが、脳梁に腫瘍ができて、1年ほどの闘病の後に65歳で亡くなりました。
父の兄弟の中だけでなく、大勢の親戚の中でも一番元気で明るい叔母がこんなに早く亡くなるなんて、誰も想像しなかったでしょうし、私自身にとっても大きな衝撃でした。
叔母は、自分の夫と、二人の子供と、生まれてまだ1年経たない2人の孫とお別れしました。
私の母は感情が不安定で、怒りに任せて子供の顔を叩いたり、抓ったりする人で、さらに、なんでも真に受けて考え込むような、ごく普通の軽いコミュニケーションが苦手な人だったので、子供の頃の私は、叔母の少しオープンすぎるストレートな言動に戸惑いながらも、いろいろと世話を焼いてくれる叔母のことが好きで、お正月やお盆に叔母が帰省して来ることを楽しみにしていました。
昭和50年代、関東の山村地域なのでコンビニがないのはもちろんですが、洋菓子がすぐに買えない中で、スワンのシュークリームを焼いてくれたり、クレープを作って食べさせてくれたのも叔母でした。(余談ですが、城戸崎愛さんのお菓子のレシピ本が家にあって、白黒のページの中に、一部、カラーのページがあったのを覚えていますが、これが祖母のものだったのか叔母が持ってきたのか、記憶があやふやです。この本にスワンのシュークリームのレシピが載っていて、幼い私はそれを何度も見ていました。)
フレンチトーストというものも知らず、叔母が作ってくれて、こんなにおいしいものが家で食べられるなんて、と感動したことを覚えています。
叔母が結婚して家庭を持ってからは、泊りにおいで、と言ってくれて、私は半身不随の祖父と一緒に神奈川県の叔母の家に泊まりに行きました。一人で行ったこともありました。
そのたびに、観光地に連れて行ってくれたり、何が食べたい?とか、あれは好き?と言っておいしい料理を作ってくれたり、本当によくお世話をしてもらいました。
ひとつだけ、叔母にもし心の傷があったとしたら、「自分は望まれて生まれた子ではない」と思っていた、ということです。
祖母が話しているのを聞いてしまい、ショックだったと言っていました。
「本当は産むつもりじゃなかったんだよ、できちゃったんだよ」と、祖母は4番目の子である叔母のことを人に話していたそうです。
夢は、叔母の夫が車を運転しているところから始まります。
私は車の助手席に乗っていて、後部座席に叔母の長女(私の従妹)が乗っています。
町中なのか、少なくとも田舎の家ではなさそうな、ある一軒家の前で車が止まって、その家の玄関口に目をやると、叔母が家の中にいるのが見えました。
私たちが来て、タイミング良く、ひょっこり出てきたような印象でした。こちらを見て、微笑むような、よく生前に出迎えてくれた時と同じ表情をしていました。
それを見て、「あれ、叔母さん?」と私は思いました。そうしたら後部座席にいる私の従妹が、「あ、お母さんだ!」と叫んだので、「やっぱりそうだよね!」と言って2人で興奮していました。
もう一度玄関口を見ると、もう叔母の姿はなく、たぶん家の中に入ったのだと思います。
私たちも車を降りてその家の中に入るのだと思いますが、そこで夢は終わりました。
起きて、私は思わず、従妹に夢の内容を送りました。
それと同時に、3年前の葬儀の時の情景を思い起こして、そういえば従妹と二人で泣きながら叔母が若い頃に変な髪形をして映っている写真の話をしたことを思い出しました。
そんな夢の話でした。